追憶1


 結果、北高は学院に勝った。高校生活最後の大会で、俺たちは学院に一矢報いることができた。そのときのこと――予選の結果が知らされ、審査員から寸評を受けたあとのことを俺は今も昨日のことのように覚えている。

 学院の子たちはみんな泣いていた。結果が発表されたあとすぐに泣き声があがり、寸評の間も啜り泣きの音が途絶えることはなかった。肩を震わせてしゃくりあげている子が何人もいた。あからさまな恨みの目でこちらを睨んでいる人もいた。

 そんな彼女たちを眺めながら、俺はようやく勝ち取った勝利の喜びを素直に感じることができなかった。もちろん嬉しくはあった。悲願が叶ったのだという感慨がないわけではなかった。ただ去年もその前の年も、俺はあちら側にいた。あちら側にいながら、彼女たちのように慟哭することはなかった。彼女たちが今日までの日々どれほど真剣に演劇に懸けてきたか、人目も憚らないその涙が何より強く物語っていると思った。俺は――俺たちは果たして彼女たちほど真剣に演劇をやってきたのか、彼女たちを下して先に進む権利があったのか……そんな疑問にとらわれていた。

 三年続けて勝ち続けた。今年も勝って当然の勝負だった。この予選はあくまで通過点に過ぎず、全国を目指して毎日練習に励んでいた。そんな努力も虚しく、敗北して惨めに泣いている彼女たちを、俺は他人とは思えなかった。舞台直前まで足並みを揃えようとせず、仲間とは名ばかりのばらばらな心のままで、不思議に拾った勝利に浮かれている後ろの連中よりよほど……。

 すべてが終わってしまっても彼女たちは帰ろうとしなかった。いつまでも泣き続けながら、まるで俺たちの行く手を阻むように出口のあたりに固まっていた。このままでは出られないから部長がどうにかしろと、後ろから誰かの声が聞こえた。気は進まなかった……勝者が敗者どんな言葉をかければいいというのか。だが俺は少しわざとらしく時計に目をやったあと、ゆっくりと彼女たちの方へ近づいていった。

 みんな泣いていた。誰に声をかければいいのか――誰に声をかけていいのかわからなかった。けれども俺はそこで、彼女たちの中にただ一人泣いていない女がいるのに気づいた。それがアイネだった。

 彼女のことは知っていた。去年の大会で主役を演じていたのが彼女だったし、説明会でも何度か顔を合わせたことがあった。何より彼女が学院演劇部の部長であることを俺は知っていた。まともに言葉を交わしたことはなかったが、俺が学院演劇部を思うとき、常に彼女の顔を思い浮かべるほど、アイネは俺にとって親しい(傍点)存在だった。

 彼女は泣いていなかった。泣き崩れる学院の子たちの中にあって、アイネだけはどこか吹っ切れたような表情で涙を流すことなく立っていた。俺が見ていることに気づくと、彼女は近くで泣いている子に何かを告げ、おずおずと俺の方に歩いてきた。

「おめでとう」

 とアイネは言った。俺は何と答えていいかわからなかったが、それでも「ありがとう」と返した。すると彼女は右手を差し出し、

「全国に行けるように祈ってる。頑張って」

 と言った。俺は差し出されたその手を握り、そこではじめて正面から彼女の顔を見た。

 穏やかな顔だった。透きとおる二つの瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。そこには恨みの色も、悲しみの色もなかった。何かを悟ったようなその顔を、俺は純粋に綺麗だと思った。その顔に少しだけはにかむような微笑を浮かべて、彼女は言った。

「三年間、楽しかった。あなたたちがいたから、この三年間は本当に楽しかった」

 その言葉に、俺は感動した。それは決して負け惜しみではなかった。彼女の正直な飾りのない気持ちだと信じた。目の前で握手をしている女が、俺が彼女たちをそう思っていたように俺たちをライバルと認め、この三年間を演劇に明け暮れてきたことをその一言で理解した。最後の勝負に敗れ、泣き濡れる仲間たちの中にあってただ一人涙を見せず、含羞の笑顔で潔い訣別の言葉をかけてくる彼女を、この上なく格好いい生き物だと感じた。

「格好いいな、あんた」

 思わずそう告げてしまったのは、今思い出しても恥ずかしくてならない。その俺の言葉をどう受けとめたのか、アイネは少し困ったような何とも言えない表情をつくった。その表情に俺はようやく自分の失言に気づいて、咄嗟に繕いの言葉を探した。すぐに見つかったそれを、頭の中でまわして確認したあと、精一杯の笑顔をつくって、言った。

「いつか、今度は一緒の舞台に立とう」

 返事の代わりに彼女は小さく頷き、最後に俺の手をぎゅっと力強く握った。そうして振り返り、よく通る大きな声で仲間たちに退出を告げた。泣いている子はもう誰もいなかった。

 そこでアイネと交わした儀礼めいた約束は、半年後に二人が入る風変わりな劇団で叶えられることになる――

BACK