嫉妬と劣情


「――先輩」

「……!?」

 突然の声に寝台から跳ね起きた。目をやれば部屋の入り口に申し訳なさそうな表情のペーターが立っていた。彼女の姿を見たとたん、俺はなぜか激しい苛立ちに襲われた。「勝手に入ってくるな」と、その苛立ちを隠さない口調で吐き捨てた。

「……すみません。でも、下で何度か呼びましたよ? 扉の鍵も開いたままになってたし、何かあったんじゃないかと思って心配で」

「その必要がないことわかっただろ。……だいたい何の用だ。大学でキリコさん捜してるんじゃなかったのか?」

「だからその報告に来たんじゃないですか。理系の院を一通り回ってみたんですけど、それらしい名札がかかった研究室は――」

「そんな報告はいい。見つかったのならともかく見つからなかった報告なんていらない。とにかくさっさと出ていけ。見てわかるだろ、着替え中なんだよ」

 洗面所でシャツを脱いだきり俺の上半身は裸のままだった。だからその言葉には説得力があるはずだった。だがペーターは立ち去ろうとしなかった。「わかりません」と、思い詰めたような声で言った。

「はあ? 何がわからないんだ」

「着替え中だってことです。先輩は嘘をついてます」

「嘘なわけあるか。どこにそんな証拠が――」

「ありますよ。だって先輩ずっとその格好でベッドに寝そべってたじゃないですか」

「……っ!」

 その言葉を聞いた瞬間、苛立ちは怒りに変わった。嫉妬に苛まれ寝台の上で身もだえしている俺の姿をこいつは見ていた! そのことに恥ずかしさは感じなかった。代わりに噴きあげるような怒りを感じた。それでも俺はその怒りを抑えた。今にも爆発しそうなその怒りをどうにか封じこめながら、一刻も早くこの部屋からペーターを追い出すべきだと直感した。だがそんな俺の葛藤をよそにペーターはなおも続けた。

「そんな嘘つくなんて先輩らしくないですよ」

「嘘じゃないって言ってるだろ。着替えようと思ってシャツ脱いだらどっと疲れが出たんだよ。それで寝てただけだ」

「脱いだシャツはどこにあるんですか?」

「……っ! いいだろそんなことはどうでも!」

「やっぱり変ですよ。先輩……何かあったんですか?」

「うるさい! いいから出ていけ!」

 俺はついに寝台から立ち上がり叫んだ。けれどもペーターはその場を動かない。薄暗い部屋の入り口に、哀れむような目をこちらに向け立ち尽くしている。その二つの目が俺の怒りをいやが上にもかきたてた。このままでは取り返しのつかないことになる――真剣にそう思い、つとめて冷静に言葉を選んだ。

「……なあ、頼むから出て行ってくれ。今はおまえと話せるような心境じゃないんだ」

「……」

「ホールに降りるだけでもいい。下で待ってろ。気持ちを落ち着けたらそっちに――」

「……嫌です」

 予期しなかった拒絶の言葉がはっきりとペーターの口から告げられた。そこでついに俺は感情の手綱を手放した。

「何があったのか話してください。……お願いです、先輩」

「……」

「私が聞いてもどうにもならないかも知れませんけど、話すことで少しは楽になると思うんです。だから……え? どうしたんですか先輩――きゃっ!」

 大股に近づいて細い腕を掴んだ。そのまま寝台まで引っ張ってゆき、無造作に押し倒した。肩を両手で押さえつけ、腰を両膝で挟みこむようにしてその身体を組み敷いた。

 ――雨の音が聞こえた。気がつけば冷たい寝台の上にペーターの顔を見下ろしていた。うすく唇を開いた、恐れるような困惑したような表情。けれどもその目は物言いたげな光をもって、じっと俺を見つめたまま動かなかった。

 その顎から首筋へ視線をおろした。肩口を強く引かれたブラウスには身体の線がはっきりと浮かんでいた。かすかに透けて見えるブラジャーの下に、たおやかな胸がゆっくり上下していた。更に視線をおろすとスカートが見えた。俺の両脚に挟まれたそのスカートは大きくめくれあがり、その奥には白い股と、薄いレースの下着が覗いていた。

 視線を戻した。彼女の顔にもうさっきまでのような表情はなかった。暗く光る二つの目がじっと俺を見つめていた。交錯する視線を介して二人の中で何かが通い合うのを感じた。その目が、すっと閉じられた。

 苛立ちから変化した怒りが、一瞬でまた別の感情に変わった。いや――変わらなかったのかも知れない。ただ静かに瞼を閉じた彼女を前に、俺を支配していた激情は明確な捌け口をえた。全身の血が沸き立つほどの、それは劣情だった。

 自分の下にあるその身体を滅茶苦茶にしてやりたいという衝動が黒い炎のように燃えあがるのを感じた。乱暴に服を脱がし、荒々しくむしゃぶりつき、汗だくになって絡まり合う――そんな想像が次々と頭に浮かび、炎はいっそう激しくなった。……もう抗うことはできなかった。それでも俺は残された理性を振り絞り、決壊を少しでも遅らせようと歯を食いしばった。

「……ですよ」

 消え入るような声が彼女の唇から漏れた。その肩を押さえつける俺の右手に、彼女の左手が触れた。思わず力を抜いた。するとその左手は俺の右手を、ゆっくりと彼女の胸に運んだ。

「……いいですよ。先輩の好きにして」

 目を閉じたまま静かに彼女はそう言った。右手の中に柔らかい膨らみを感じた。その胸はこれまで漠然と想像していたよりずっと大きく、少し力を入れると指先は半ばまでその胸に沈みこんだ。その動きで彼女はわずかに身体を強張らせ、だがすぐに緊張を解いた。そんな彼女の様子を確認し、胸を掴む手にさらに力を入れようとして――そこで俺は指先にとくとくという小さな音を聞いた。

 ……それが心臓の鼓動であることに気づいて、俺は右手に力をこめるのをやめた。そのまま指先に彼女の音を聞き続けた。とくとく、とくとくと、たぶん普段より少し速い心臓の鼓動。乱暴に組み敷かれ、瞼を閉じた彼女の奥にその音を聞いているうち――俺の中で燃えさかっていた劣情は潮が引くように急速に消えていった。

 そうして俺はまた別の感情に流された。最後にたどりついたその感情は――同情だった。なぜそうなったのかわからない。けれども俺は自分の下で目を閉じ、すべてを投げ出してされるがままになっている彼女に、胸が詰まるほどの同情を感じた。……もう乱暴にすることなど思いもよらなかった。

 胸に触れていた手を離し、その手で軽く彼女の髪をかきまわした。驚いたような目が見開かれるのを認めて、ゆっくり寝台を降りた。彼女に背を向けたまま、「ごめん」と一言だけ謝った。下に降りようかとも思ったが、上半身が裸のままであることに気づいて、とりあえずそれをどうにかするためクロゼットに向かおうとした。

「……どうしてですか?」

「え?」

 思わず振り向いた。ペーターは寝台の上に身を起こし、虚ろな表情でこちらを見つめていた。ブラウスもスカートの裾もしどけなく乱れたままのその姿に、俺は改めて深い同情を覚えた。もう一度ちゃんと謝ろうと口を開きかけ、だがペーターの一言がそれを遮った。

「どうしてですか?」

「……?」

「どうして最後までしないんですか? あそこまでしといて」

「……」

「どうしてですか?」

「……」

「どうして……どうして私じゃ駄目なんですか?」

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